日々のモノゴト

Twitterには書ききれなかったことを書いていきます

共感されるコンテンツとは何だろう

前回は「漫画は感情をあらわすもの」について書きましたが、作品と感情に関しては仕事でもよく考えます。とくに「共感されるコンテンツとは何か」に関して日々考えています。

ぼくは、はてなブロガーさんやWEBライターさんと一緒に企業メディアをつくる仕事をしています。昨日のブログでは「漫画は感情をあらわすもの」「漫画が面白いのは、自分にぴったりの感情がそこにあるから」という言葉を紹介しました。これと同じことが、共感されるコンテンツにもいえると思います。

具体例を挙げると、2年ほど前から「SUUMOタウン」という媒体のコンテンツを一部担当しています。ここではWeb上で活躍する書き手のみなさんと、街に関する記事をつくっています。(担当記事には編集:はてな編集部と表記があります)

初期からメインで続けているのは「街についての愛を語ってもらうエッセイ」です。切り口は「街の紹介」ですが、そこで語られるエピソードは様々です。

若いころの戦いの日々を振り返りつつ街のエピソードを語った話」「大学時代に思いを馳せながら、街の思い出を語った話」「街の変化とミュージシャンの夢を語った話など、それぞれに街のスペック紹介を越えたエピソードがあります。

こしのさんの言葉を参考に考えると、ぼくはこれらの記事の中に「自分にぴったりの感情」を見つけているのだと思います。それぞれの記事に書かれているのは自分が体験したエピソードではないのに、記事のなかに自分の感情が潜んでいる感覚がします。

そして、ぼくと同じように記事のなかに自分の感情を見つけた読者がたくさんいたから、それぞれの記事は広くソーシャル上でも広がったのだと思います。

「共感」を辞書で調べると、「他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること」とあります。

共感されるコンテンツの意味は、まだ理解しきれてはいないです。ただ「あるある」や「エモい」などの説明よりも、共感されるコンテンツは、読み手にぴったりの感情が見つかるという説明の方が自分にはしっくりくるなと思いました。