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法律の外側にある現実と曖昧なやさしさ - 『万引き家族』感想

さっき遅ればせながら『万引き家族』を観ました。Twitterに感想を書こうとしたけれど、140字では書けないモヤモヤがあるのでブログにします。すこしネタバレを含むので気になる方はぜひ観てからどうぞ。


映画「万引き家族」本予告編

 

「観た後、すごくダウナーな気持ちになるよ」と周りに言われていたのですが、想像とは異なる感覚でした。考えさせられる内容ではあるけれど、刺激的な問題提起というよりは日本に存在している温度感のある現実を見せられた気分です。うまく整理しきれてませんが、思ったことを書いていきます。

子を捨てる親も「家族」なのか

是枝監督の過去作『そして父になる』では、「裕福だけど愛が薄い家族」と「貧しいけど愛のある家族」が対比して描かれていました。今回の作品でも家族が描かれていますが、貧富の対比はそこまで強く描かれていないと感じました。

 

対比という点では物語の終盤、警察と夫婦の会話が印象的でした。正論を投げかける警察と、法律には従っていないけれど確かに存在した「家族」のかたち。法律と法律の外側にある現実の対比、そして「家族とは何か」により焦点が当たっていると思いました。

 

また今回登場する家族は、血の繋がりがありません。しかしながら、作品の終盤まで基本的には明るく幸せそうな「家族」の生活が描かれています。貧しさはありますが「ものはないけど家族の絆がある古き良き日本」の家族象を感じました。

血の繋がりはなくても愛があれば家族なのか、血は繋がっていても子を捨てる親でも家族なのか。答えはでませんが考えさせられる内容でした。

「万引き」しか教えることがない父親

予告編にもありますが「子供に万引きさせるの後ろめたくなかったですか?」という問いかけに対して、父が「他に教えられることが何もないんです」と返すシーンがすごく印象的でした。

万引きは貧しさを印象づける行為ですが、「万引きしなければ生きいけない生活難」を表現するよりも、父親が子供に誇らしく教えられる唯一の特技としての描かれ方がすごく心に刺さりました。

古き良き日本っぽい家族ではあるのですが、父親が誇れる行為が「万引き」というところに父親の威厳が昔よりも薄れた現代的な要素を感じます。事実、物語の終盤では「万引き」という行為に対する疑念から、ストーリーが展開していきます。

曖昧なやさしさと余裕

今回の作品で特に印象的だった人物は「おばあちゃん(樹木希林)」と「近所の駄菓子屋のおじいちゃん(柄本明)」です。このふたりは、曖昧なやさしさをもった人物として物語の重要な役割を果たしていると思います。

おばあちゃんは基本的にすべての物事を受け入れます。虐待された少女が家族に来た時もそうですし、そもそも夫婦の存在も受け入れているから家族が成り立っています。この曖昧さを受け入れる余裕が家族を成立させており、その消失と同時に「家族」が崩壊していきます。

そして近所の駄菓子屋のおじいさんも曖昧さを受け入れるひとりです。劇中で駄菓子屋は万引きの被害に合いますが、作品の後半で「万引きされていることに気づいていた」ことがわかります。

万引きは犯罪ですし、本来であれば「子供を捕まえて教育すること」が正しい行為です。しかし万引きを受け入れる善悪を超えた曖昧さなやさしさが、家族の崩壊を食い止めていたのだと思います。

家族間で広がる格差

映画をみて小学校のころに仲が良かった友達の家を思い出しました。当時は理解しきれいませんでしたが、父親が建築系の仕事をしている6人家族でおそらく裕福ではない家です。子供ながらに「お金がない」と友人の親がつぶやくのを聞いていたからです。しかし、とても絆の深い幸せそうな家族でした。

その友人とは中学に入ると趣味が合わなくなり疎遠になってしまったのですが、風のうわさで友人は結婚して幸せに暮らしていると聞いています。もしかしたら誰かの余裕に支えられていたのかもしれません。

 

世界の富の82%が1%の富裕層に集中していると言われており、日本を含めた世界全体で家族間の格差が広がっています。どんどんと余裕が失われていく大きな流れの中で、日本中にある「家族」という小さい単位がどのような影響をうけていくのか。しみじみと考える映画でした。